昨日の続きになるが、親友に話の顛末を話し、私はありがとうとか言い過ぎるか?と聞いてみた。返ってきたのは"減らしても十分と思う"だった。
自分の言語生活?を人にコントロールされる必要はないけれど、言葉を安売りしているように思われたくない。そういうわけで昨夜から、自分の発話を監督している。
日本語の教科書の説明ではないが、言葉の意味自体ではなくて、その効果を期待して私は謝意や謝罪の言葉を使っていた。それ自体は、どこの言語にもある機能だし、特に挨拶はそのためにあるようなものである。朝が早いということを出会いざまにいうことには人間関係を円滑にする以外の何の機能もないから。と言い返して、今のままでもいいのだが、あまりにも他の人が気になるというのは、とも思うのだ。
自分の言語生活?を人にコントロールされる必要はないけれど、言葉を安売りしているように思われたくない。そういうわけで昨夜から、自分の発話を監督している。
日本語の教科書の説明ではないが、言葉の意味自体ではなくて、その効果を期待して私は謝意や謝罪の言葉を使っていた。それ自体は、どこの言語にもある機能だし、特に挨拶はそのためにあるようなものである。朝が早いということを出会いざまにいうことには人間関係を円滑にする以外の何の機能もないから。と言い返して、今のままでもいいのだが、あまりにも他の人が気になるというのは、とも思うのだ。
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