法王が亡くなった。

私にはどうもぴんと来ない。たとえカトリックの学校で育っても、分からないものだ。

でもポーランド人の友人にはとてもショックらしい。

1、カトリック文化の国
2、現在のポーランドから生まれたもので一番の知名度。特に、1を持つ国の信仰心がある人にとって、そのトップにいるというのは、ものすごいこと
3、中東欧独立、反ソヴィエトのアイコン
4、中東欧初の法王

ということが重なっているらしい。彼にとっては父親で精神的な支柱みたいなものなのだ、と以前言っていた。日本人には1も3もの要素もないし、自分の気付かないところで2は満たされている。彼の気持ちは分かりえないだろうな、といつも思う。

私には、宗教のトップに立つ人がいて、その人も敬う、という感じもつかめない。私にとって、もしも神がいたとしたら、それは大きな大きな人をも超越したものだ。

ただ、法王がいる意味はわからなくはない。人はそれぞれが我を主張して、好きなように行動してしまう。それはそれでいいのだろうけれど、きちんとそれについて深く考え、実践する役割の人がいてくれたらいいと思う。

実は週に1回、ここ数か月、自己反省の場として、カトリックのミサを利用していた。でも、今日は行けなかった。体験のためにいこうか、と思ったのだけれど、友人のように法王を本当に慕う人の中にまぎれたら不誠実な気がしたからだ。寛容なカトリックを推進してきた亡き法王は気にしなかったに違いないけれど、まわりの信者に失礼な気がした。

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