法王2

2005年4月4日 日常
ななさんの日記を読んだり、ポーランド在住の方の日記を読んだり、Sankei Webを読んだり(以下参照)、こっちにきて初めて朝の日本語ニュースを見たりして、改めていろいろと考えていた。

彼が来日した際の、広島でのスピーチをニュースで見た。心を打たれた。どういう背景があったのかわらないが、彼の言葉は、カトリックの過ちを認める姿が多い。

パワーゲームを繰り返す政治社会の中にあって、かつてそれに積極的に参加してきた宗教のリーダーとして、その姿勢は、とても美しいものだと思う。特に他宗教との融和を求めた姿勢は、布教と相容れないものであるがために、議論や反論もあっただろうに、と思う。

彼の求めた平和の形が実る日が来ますように。

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(略)
 同年5月、サンピエトロ広場でトルコ人に狙撃され重傷を負ったが、一命をとりとめた。
 89年、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長(当時)と歴史的会談を行い、ベルリンの壁崩壊を決定的なものにした。パレスチナ紛争、イラク戦争でも積極的なバチカン外交を展開。武力行使に強く反対し、平和を訴え続けた。
 2000年3月にはカトリック教会の歴史的な罪を総括した文書を発表。01年5月には東西教会分裂から約1000年ぶりにギリシャを訪問。ギリシャ正教会に謝罪し和解に尽力した。
(略)

 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の主な発言を振り返った。
 「広島を考えることは核戦争を拒否することであり、平和に対しての責任を取ることである」(1981年2月、初来日の際、広島で)
 「(地動説をめぐるガリレオ裁判について)われわれは彼(ガリレオ)が教会の一部機関により傷付けられたことをはっきり認識している」(83年5月、ノーベル賞受賞者らとの会見で法王庁の誤りを認めて)
 「政治的問題に対しても是非の判断を下すのが教会の役目だ」(87年4月、訪問先のチリでピノチェト軍事政権を批判した演説で)
 「われわれは『連帯』という言葉を人類と人間性の名において使わなければならない。今日この言葉は波が広がるように世界に広がっている」(同年6月、祖国ポーランドで自主管理労組「連帯」への支持表明で)
 「共産主義の崩壊後、資本主義が優れた社会システムとして勝ち残ったと言えるだろうか」(91年5月、カトリック教徒へ向けた回勅で)
 「カトリック教会によってユダヤ人に向けられた迫害行為や排斥運動について深い悲しみを覚える」(2000年3月、エルサレム訪問で)
 「この瞬間にもガザから届く対立や死の悲しい知らせに、祈りはいよいよ強くなる」(同月、訪問先のシリアでパレスチナ紛争について)
 「ロシア正教の発祥の地であるキエフを祝福する。訪問実現に感謝する」(01年6月、東西教会分裂後、ローマ法王として初めて東方正教信者が多数のスラブ圏国家のウクライナを訪問した際、キエフ郊外のミサで)
 「大変悲しく、恥ずべきことだ」(02年7月、カナダのトロントで米国のカトリック神父による少年への性的虐待事件に触れ)
 「この地にはナチスの占領時代に化学工場があり、私もここで強制労働をさせられた」(同年8月、ポーランドのクラクフで)
 「(イラク問題などについて)紛争の論理に捕らわれていては、真の解決は望めない」(11月、初めてのイタリア国会の演説で)
 「神の前に立たねばならない日が近づいている」(03年5月)
 「(米軍によるイラク人虐待事件について)嘆かわしい出来事が明るみに出た。戦争やテロを克服するために不可欠な人間的価値への献身を困難にするものだ」(04年6月、バチカンでのブッシュ米大統領との会談後)
 「どの程度小さいかによるね」(05年2月、気管切開手術前に「小さな手術です」との医師の説明に冗談を返して)
 「犯人(トルコ人)の背後にはしっかりした組織があった。それは20世紀に生まれた暴力的なイデオロギーの結果である」(同月発売の自著で81年の自身の暗殺未遂事件について)(共同)
[http://www.sankei.co.jp/news/050403/kok026.htm]

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